えりんぎぷーるに溺れたとき

全てが宝物になる

5ヶ月の激闘


平野紫耀に降りたとき


いつか書こうと思ってた担降りブログ。




  • きっかけ
元担がデビュー発表した。祝福よりも批判が多い形で。私は深夜バスで東京に向かってる途中で(ジャニーズ関連ではない)、ちょうどサービスエリアに止まった時に繋がりにくいワンセグで見ていて、「僕たちCDデビューしまーす!」と自担が言った。人間って本当に驚いたときは何も声が出ないんだなーって思ったくらい驚いた、というか唖然??知ってる人しか乗ってないバスだったけど、騒げないし、すでに電気も消されてたからあんまりスマホにも触れず、モヤモヤしたままバスに揺られていた。いつの間にか寝ていて、気づいたら東京に着いていた。起きてまず思ったことが「自担はもうJr.じゃないんだ…」だった。ヲタ歴浅い私だけど、Jr.の良さにすっかり虜にされていたし、関ジュの沼にがっつりハマっていたから、自担が関ジュじゃなくなることが、自分が思ってたよりすごく嫌だったのだ。しかも、誰からも喜ばれていない。これからずっと応援出来るとは、とても思えなかった。


  • あけおめコンサート
今思えばね、このコンサートはして良かったと思う。でも実際この時は本当に最悪なタイミングで現場あるな、と思ってた。1日目は、本当に酷くて、お客さんはもちろん、メンバーからも伺える空気の悪さ。関ジュのちゃんとしたコンサートは全ツぶりで、楽しみにしてたから、正直「こっちは金払ってるのに、なにこれ。」ってイラついてたし、そりゃ気まずいのとかもあると思うけど、どんな状況でもちゃんとしてほしい、って気持ちが悲しさより上回っていた。
2日目はお兄ちゃん達を見るのも嫌だったから、なにきんちゃんに逃げてた。空気を読んで大人しめだったけど、なにより平和な雰囲気がだだ漏れだったなにきんを見たい、って思った。(まさかこれが最後のなにきん括りだとは思わなかったけど。)なにきんを見てると、リアデラセンターだし、WinterLoversにいるし、セカムブ歌いすぎだし、紫耀推されてるなーって。でもまだ、この時は平野紫耀の沼には落ちてない。


  • 第一次担降り危機
とにかく1月は重岡くんから避けて避けて避まくってた。あ、元担は重岡くんです(遅い)。ジャニーズWESTのこと見たくも聞きたくもない。重岡くんから逃げたくて、担降りってことをずっと考えてて、候補は何人かいた。わたしの自担の決まりは1つだけあって、歌ってる踊ってるところが何より1番好きって感じれる人じゃないとダメで。ドラマ見て好きになる子とかいるけど、自担にまでにはならない。ずーっと誰に降りるか悩んでた。あの子?この子??って。重岡くんに冷めてたことは友達にもバレてたけど、本気で担降りしようとしてることは誰にも言ってなくて1人で苦しんでた。どこにも助けがなくて2014年1月14日のスケジュール帳に書いてる言葉が「もうダメかもしれない。」の一言。この日が1番重岡担の自分がしんどくて、それと同時に紫耀に降りるって感覚的に強く思った。これは完全に直感。降りるなら平野紫耀だ、って。SHARKもそんなに見てなかったし、もっと好きなJr.はいたはずなのに、ほんとになんでこんなこと思ったのわからないけど、私は平野くんを自担にするって強く感じていた。


  • なにわ侍までのお話
そうは思ったものの、急展開すぎるし、強い動機もないわたしに、紫耀に降りる勇気が到底なかった。まず重岡担じゃない自分が想像出来ないかったし、まずノータッチすぎる平野紫耀の担当なんて出来るのかという問題。平野担になりたい、じゃなくて、今すぐ重岡担を降りたい、って気持ちが大きかったから、そんな理由で降りられる紫耀に悪いと思ったし、平野担やってる人にも申し訳ない気分もあった。こんなことばかり考えていたから、ズルズル日にちが過ぎていくばかり。気がついたら2月5日になってしまった。この日の発表で追い打ちかけられるように、降りれなくなってしまったのだ。自担の納得いくデビュー、周りの祝福、何よりみんなの幸せそうな笑顔。やっぱり重岡くんを応援しなきゃダメだ、と。実際なにわ侍には2公演入って、7人のジャニーズWESTを間近で見て、重岡担続けようと、考えを改めた。



  • 春松竹
重岡くんいない春松竹。迷わず行くことを決めた。確か、わりと揺らいでた時に春松竹のお知らせがあったから、申し込みしたのだ。結局3公演入ることにして、3公演ともそりゃべらぼーに楽しかった。ショータイムが20分しかなかったのは、なんともいえない悲しさに初見するまで気分は低めだったけど、とにかくみんな可愛くて可愛くて。でも春松竹期間に口癖のように言ってた言葉は「KEEP WARKINGのためにチケ代払えるわ」だった。もう紫耀の声を会場で聞けるだけで、満足だった。ここからたぶん本格的に紫耀の沼に入っていったと思う。まいジャニやら少クラやら、やたら紫耀に注目して見てると、可愛いとかかっこいいしか感想が出てなかった。で、その頃クリエの発表があって、関西からはしょうれんだけ。発表のときに私は山に合宿に行ってて、スマホを夜寝るまで触れなかったから、友達から入ってるLINEを最初に見て知った。「クリエ行く?」答えはもちろん行く、だった。行かない選択肢が無くて、すぐ応募した。この気持ちは、後に自分に感謝することになる。


  • なにとも
たぶんクリエに行きたかったのは、とりあえず関ジュの現場に行きたかっただけというのもある。しょうれんは、なにきんの中でどちらかというとあまり興味はなかったわけだし。現場厨まっしぐらだったから(今もだけど)、とにかく現場あれば行くってことが当たり前になってた。重岡くんの話をすると、4月の少クラで、重岡担になって1、2を争うほどのdr期がやってきたのだ。もうとにかくデレデレしまくってて重岡くん可愛い♡しか言えなかった。みんなからも冷め期終わってよかったねって言われたし、私の中にちゃんと重岡くんが戻ってきた。そんな時に、重岡くんの現場がやってきた。なにわともあれありがとうコンサート。絶対行く!と意気込んで、授業までサボって電話かけて必死になっていた。友達のおかげもあり、松竹2公演、新橋1公演入れた。ここで最大の問題が起きた。重岡担として見に行ったんだけど、3公演とも重岡くんに1ミリも沸けなかった。これが想像以上に辛くて、重岡くんのために遠征してるのに全然楽しくない。何の為に遠征してるのかわからなくなっていた。ここまで月1回のペースで重岡くんを見ていたからなのかよくわからないけど、重岡くんを見ても辛いだけだった。


  • 第二次担降り危機
なにともが終わって、私はまた担降りすることを考え始めた。この頃はわりと関西DDで、色んな人に沸いたりしてた。1つ思ってたことが、なにきんには今更降りれないってこと。ある程度、形もまとまってるし、ファンもそれなりにいる。今更なにきんの誰かに降りて、応援?もっと小さい子だったり、関ジュのバックだったり、そんな子を応援したいなーって気持ちがあった。そんな時クリエ。そうクリエ。応募したやつは見事に外れたんだけど、友達が一般で繋がって私の手元にチケットが舞い込んできたのだ。なんとあの倍率が高いクリエのチケット。行くって言ったのは私だし、そりゃ嬉しくて仕方なかった。これを機に、私はすでに紫耀しか頭になくて、今まで録画してきたまいジャニやらなんやら、片っ端から見始めて。歌もダンスも私の心に刺さるものがあって。これはもう、紫耀の沼にハマまらないとって思ったくらい。


  • 担降りのタイミング
もう周りなんか見えなくて、紫耀に降りることしか頭になくて、後はいつ降りるか、ってこと。紫耀が出るクリエの初日。レポが流れ始めてきたとき、ちょうど一緒に行く友達と居て、セトリを見て、ものすごい叫んだ。なんたって関西の曲を歌う!!それだけで、テンションは上がってた。その5日後、私は平野担になることに決めた。最大の理由は、クリエを平野担として入りたい、ということ。平野担として、紫耀のうちわを持って、紫耀を見たいって強く思ったのだ。クリエ行く3日前。私は晴れて平野担になった。





長い長い話になってしまいました。とにかく苦しんで苦しんだ5ヶ月だったのです。いろいろ候補はいた。平野くんがかっさらって、逆転ホームランを打ってしまったのだけど。ほんとにほんとに平野担になってよかったと、今は思ってます。全てがキラキラしてて、ヲタク最高に楽しいって思わせてくれるのが紛れもなく平野くんだったから。今は別事情で悩んでるけど、悩みもひっくるめてヲタク楽しい!!これからも平野くんを応援し続けようと思います。




そして晴れて平野担2年目に突入しました。クリエも入ったので、また感想書こうと思います!!!